message メッセージ
つぶやきで振り返る2019
2019.12.31
姫路のデモクラティックスクールの
卒業式に呼んでいただいた。
初訪問時、金切り声を上げて
周囲に自己主張しまくっていた4歳のコが、
17歳になり。人に伝わる文章を書き、
丁寧に読み上げていた姿が印象的だった。
学びっていうのは、
人間の本能の一つなんだろうな。
2019.03.04
7歳の頃、生まれて初めて作った曲、
暗い夜道で一人で口ずさんでたあのメロディーが、
この音楽隊(日ノ出サンデーズ)によって
新たな命を吹き込まれ、こうしてラジオから
流れてきたりする日を迎えるとは。
とても感慨深い。
2019.03.27
2017年の秋にお受けしたインタビューの記事が
16ページに渡って掲載されている本
『躍動~横浜の若き表現者たち~』が発売された。
デビューまでの経緯や
日ノ出サンデーズの活動動機など、
どこよりも詳らかに答えさせてもらってます。
2019.04.16
せわしい日々。
でも、新たな時代は、
愛する家族と迎えることができた。
誰の命も永遠じゃない。
とうとい日々。
2019.05.18
あのCruelSheこと亜矢さんが、
病との闘いを続けながらも、
数年ぶりにステージへと戻ってきてくれた。
そしてそこで、私の「在りし日」という曲を
歌ってくれたのだという。
想像するだけで、涙が出そうになる。
2019.05.18
もう引っ込んでしまおう、
という気持ちでいた中、またもや彼女に
引っ張り上げてもらうような形になった。
そう、亜矢さん。
2015年に復活し、その翌年、
かつての約束通り再共演を果たしてくれた彼女。
その時はAcousticだったけど、
Electricでも必ずや、と誓ってくれた彼女。
彼女はその後、重い病との闘いが始まり、
また活動を休止せざるをえなくなっていた。
けれどそんな状況でも、
弱音を吐くどころか、約束は必ず守るからと、
私にエレキギターまで贈ってくれ、
私は彼女の回復を信じ、
祈りも込め、ステージでそのギターを弾き、
ラジオでは彼女の曲も流させてもらった。
彼女と初めて出会ったのは、
2002年の高田馬場PHASEでの対バン式ライヴ。
私はまだデビュー前、
彼女はあのNIRVANAやPearl Jamや
Soundgardenのメンバーたちと録音したという
アルバムをリリースしたばかり。
全然立場が違うのに、
同じように腕が傷だらけだったりもして、
強烈に印象に残っていた。
Electricバンド編成での共演は、
その時以来、実に17年ぶり。
2019.05.31
何の技能もなく、
ただ感情任せに歌っていた頃は、
ステージに上がる度、
自分で喉の奥に指を突っ込んで
ゲロしてるような気分だった。
やるせなさの塊みたいな曲が多く、
絶食したり自傷したりして、
リアルな飢えや痛みを
感じながらでないと歌えなかった。
今はステージに立つと、
着ぐるみ姿でなくとも、
目の前の人たちに笑顔になってもらいたい、
と思わずにいられない。
一瞬でも、和んでもらえると嬉しい。
どんな心も音にして楽しもう、
という意識が強い。
2019.08.17
激しくも美しい音世界が特徴の101Aさんは、
その貫きっぷりが素敵だった。
ともすればブレまくってるようにも
映るであろう私とは対照的。
そしてCruelShe。
これぞ亜矢、という姿が、そこに在った。
彼女がステージに立てなくなっていた3年間の
壮絶な日々を垣間見てきた身としては、
奇跡のような光景だった。震えた。
あんなに危うかったのに、叶えてみせやがった。
カッコ良すぎだろ。
彼女は本当に、生き様ごとロックなのだ。
亜矢さんのFANは、きっとそのライヴを観る度に
惚れ直させられるだろうし、
一生愛し抜く自信がわいてくるんじゃなかろうか。
2019.08.17
今や伊吹留香より黒猫ルックの方が、
遥かに潔い、思い切ったステージができる。
上半期だけで50本超えという、
圧倒的な場数の多さも然ることながら、
自身のモードも、ルックでいる時の方が
調和するゆえなんだろうな。今は。
2019.08.20
災害は、起こらないことを信じたり
祈ったりしたくなるものだけど、
それよりも、起こってしまう時のために
しっかり備えておくことが重要だ、
ということや、
身近な人たちと助け合うことの大切さを教わった。
自分の身に降りかからないと見えにくい、
感じがたいことだらけだし、
逃げ遅れてしまった人たちを
責めることなんてできない。
数十年に一度、というのは、
一度起きたら数十年は起こらない、
という意味ではなく。
これまではそれくらいの頻度だったことも、
これからは頻繁に起こりうる、
と思っておいた方が良さそうだ。
アタリマエのように身の回りにあるものの
アリガタミを、より噛み締めながら。
2019.10.31
こうして生きていられてるうちに
叶えうる夢は、あと幾つあるだろう。
それらを叶えられるよう努めることも、
“準備”の一つかもしれない。
誰にでも死は訪れる。
刻一刻と、その時は近づいてる。
毎日それを意識しながら過ごしてみよう。
2019.11.01
2015年の秋以降、出涸らし気分で
ソロでの活動は腰が重くなってるけど、
またもやそんな自分の尻を
蹴り上げてくれるようなお誘いが。
2019.11.24
ミュージシャンは、
愛も責任感も、如実に音に出てしまう。
2019.11.25
名前や顔なんて、
すぐに忘れられちゃって良くて。
ただ、いつだったか誰か
こんなこと言ってたなって、
綴ってきた思い、
歌ってきた思いを過らせてもらえると、
とても嬉しい。
2019.12.09
引きこもっていた頃は、
夏は涼しい部屋、冬は暖かい部屋にいて、
季節を感じることなんてほとんどなかったけど、
屋外でのステージが基本である
日ノ出サンデーズの一員として
季節ごとに合う懐メロを
選んで歌わせてもらっていたら、
夏の曲では夏、冬の曲では冬の思い出が、
見事に過ぎるようになった。
2019.12.31
こいつはこう見えて、
より多くの人に楽しんでもらいたい、
そこに呼んでくれる人たちの期待や信頼に応えたい、
仲間の足を引っ張らないようにしたい、
敬意や感謝の念を音で示したい、とか思っている。
ゆえに、反省点や課題も尽きないんだけども。
それは、まだ伸び代ってやつがある
証拠なのかもしれない。
2019.12.31